写真を撮りながら、人生を考えた

最近、人生について考えることがありました。

どんな人にも、その人だけの人生があります。

うまくいったことも

思い通りにならなかったことも。

誰にも見せていない葛藤も。

決断した瞬間も。

当たり前のようでいて、それは一人ひとり全く違う物語です。

そして私は、その物語にずっと惹かれてきたのかもしれません。

写真家として活動していると、たくさんの人に出会います。

経営者。

アーティスト。

会社員。

学生。

国籍も年齢も違う人たち。

でもカメラの前に立つと、肩書きの奥にあるその人自身が少しずつ見えてくることがあります。

最近、そのことを改めて考える出来事がありました。

私が写真を始めたきっかけは、趣味で写真を撮っていた祖父の存在でした。

幼い頃から祖父のそばにはカメラがありました。

その姿を見て育ったことが、今思えば写真との最初の出会いだったように思います。

そして写真家を志したのは、ある写真家の作品に出会ったことがきっかけでした。

その写真から伝わってきたのは、ただの美しさではありませんでした。

その人が生きてきた時間。

抱えてきた想い。

言葉にならない感情。

まるで写真の向こうに人生そのものが存在しているような感覚でした。

私はその作品に心を揺さぶられ、涙が出るほど感動しました。

一枚の写真が、人の心を動かす。

記憶に残る。

言葉を超えて伝わる。

私はその「写真の力」に魅了されました。

最近はAIで画像を生成できる時代になりました。

私自身、その進化には驚かされますし、本当に素晴らしい技術だと思っています。
でも、人を撮り続けていると感じることがあります。

それは、AIとは決定的に違うものがあるということです。

AIは素晴らしい。

けれど、その写真に生きてきた時間はありません。

挑戦も。

別れも。

積み重ねてきた人生もありません。

人の表情に惹かれるのは、その奥に人生が見えるからだと思うのです。

私は、その人が歩んできた時間や、その人らしさが滲む瞬間が垣間見れた時

シャッターを切っています。

実は先日、祖父が亡くなりました。

火葬場で祖父を見送った時、改めて人の一生について考える時間がありました。

生まれて。

出会い。

笑い。

悩み。

挑戦し。

誰かを愛し。

そして人生を終えていく。

当たり前のことだけれど、その時間は決して永遠ではありません。

写真は、その人が生きた証に触れるもの。

私はそう思っています。

経営者を撮る時も。

アーティストを撮る時も。

家族を撮る時も。

見ているのは、その人の人生です。

いつか振り返った時に、

「あの頃の自分はこんな表情をしていたな」

と思える一枚。

そして、その人を知らない誰かにも、その人らしさが伝わる一枚。

そんな写真を残していきたい。

祖父を見送りながら、改めてそう思いました。

そしてもうひとつ、感じたことがありました。

私はこれまで、写真を通してたくさんの人の人生に触れてきました。

その人が見てきた景色。

抱えてきた想い。

悩みながら選んできた道。

写真を撮ることは、その人生を受け取ることでもありました。

私はそれが好きでした。

だからこそ、人を撮り続けてきたのだと思います。

でも祖父を見送った時、ふと感じたのです。

私は誰かの人生に惹かれながら、

どこかで自分自身の人生を後回しにしていたのかもしれない、と。

写真家として、その人を理解しようとすること。

その人らしさを伝えようとすること。

それは私にとって自然なことでした。

けれど、いつの間にか私は、

誰かの人生を見つめることに夢中になっていたのかもしれません。

祖父の死を通して、

ひとつの区切りが訪れたような感覚があります。

これまでたくさんの人生に触れさせてもらったことへの感謝。

そしてこれからは、自分自身の人生も生きていこうという決意。

写真を撮ることは変わりません。

これからも人を撮り続けると思います。

でも以前とは少し違う景色が見えています。

写真を撮りながら、私が見ているのは人なのかもしれません。

でも本当は、その人が生きてきた人生に惹かれているのだと思います。

そしてこれからは、

誰かの人生を見つめながら、

自分自身の人生も大切に生きていきたいと思っています。

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