生きること

どういった心境の方が撮影をのぞむのか。

今までの撮影の中で、

印象に残っているお客様ばかりなのですが

中でも、

*医療現場でお勤めの方*

の撮影では、

また、今までと違った撮影の動機を感じました。

話を聞かせていただくうちに、

そういった方々は普段より

[死]と[生]に触れる機会が多い。

故に、

より、

[今]という時間の貴重さを

感じていらっしゃるのだと感じました。

その中のお一人の方は、

普段、介護の現場で

人の [老い]という現実と向き合い、

いずれやってくる

[ご自身の死]

を見据え、

撮影に臨まれました。

[死]を見つめることは、[生]を見つめること。

だと。

教えていただいたかの様です。

実は私自身、

死を見つめることは、長いこと避けてきました。

どうしても、

自分の気持ちが沈み、

闇に襲われ戻れなくなりそうだったからです。

けれど、撮影を通じ

そういった方々と向き合い、

私に出来る施しをする。

には、

今一度、その部分をしっかり見つめ直さないと!と、思っています。

本当の自分を生きるには、

一度、

古い価値観や思想にだって

[死]を与える必要もあります。

そういった向き合い方は、

未来に希望が持てます。

今、

[老いていく自分を見つめ、

その姿を残したいと思う自分]

を、写真に残し、

そこから、新しい自分で生きていく。

写真は、生きた証になっていきます。

□写真家 幸野朱里

名古屋を拠点に、女性ヌード撮影を行っています。

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服を脱ぐこと≠裸になること

服を脱ぐこと≠裸になること

女性のヌード撮影をしていて、

お客さんが裸になって撮影してほしいという依頼があるので、

その撮影現場があるのですが、

皆さん、私と対峙して撮影現場にいらっしゃると

自然に、「服を脱ぐ」ことをされます。

これって、当たり前の様ですが

当たり前ではないと私は思っています。

ヌード撮影と言っても、

裸になるのが、「心」であれば、

服を着ていても、それは「ヌードの作品」だと、

私は思っているからです。

矛盾しているかな。

服を脱ぐことと、裸になることは必ずしもイコールではないという事です。

裸を撮ることと、ヌードの撮影とは、

違います。

私はそう思っています。

裸になって、逆に恥ずかしさからか、

体が固まってしまうお客様も実際いらっしゃいます。

無理しないでほしい。

心が許せるまで、ゆっくりと時間をかけて

ご自身の心と向き合っていただきたい。

そう思っています。

□写真家 幸野朱里

名古屋を拠点に、女性ヌード撮影を行っています。

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http://lee0715.com

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