歴史の中でのヌードとは
ヌードといえば、絵画・彫刻・写真・映画といった創作物で使用されていますが、
中世から19世紀のある時期まで、
絵画におけるヌードは、神話に題材を取った女神の裸体などの宗教的な絵画表現の場合に限定して認められていた。
(ウィキペディアより引用)
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そうです。
確かに、ヨーロッパの有名な作家さんの絵画や彫刻も、
神話をもとにした裸体の物が多い印象があります。
それだけ、人類は昔から神話の世界の美しさをヌードという形で、
表現したきたのだと感じます。
私がはじめて、ヌード写真という存在に興味を抱いたのは
写真の学校に通う頃に見た、
日本人写真家の、アラーキー(荒木経惟さん)の作品だったかと思います。
それ以外に、
マンレイや、細江英公さんの作品にも感銘を受けました。
細江さんについては、
写真学校の学生だったころ、研究課題のテーマとして
選ばせていただき、
彼の写真家としての歴史と、写真家として作品を研究させていただきました。
私の知っている写真家の方々のヌード写真の作品は、
芸術性が高く、
男性が女性を撮影しているのにも関わらず、
そこからは、
エロスというより、
無機質な印象を受けていたと記憶しています。
無機質なんだけど、医学書に使われるような無機質さではなく、
奥深いまなざしを感じられる写真作品だな。と感じていました。
プラトニック なのかな。
この言葉でまとめられはしないけれども、
そういった作品を目にする機会が多かった様に思います。
今思うと、そのどの写真作品に対しても、
女性に対して、
神話の中の女神像のような、尊厳、
そういった想いも重ね合わせられていた作品・
意図のある作品が多かったのでないのかなと私は思います。
誰もが、女神の様な存在であれ!との願いをも込められているのかなと。
想像を膨らませてみると、
また新たな発見と気づきがあります。
写真家 幸野朱里
名古屋を拠点に、女性ヌード撮影を行っています。
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